【映画】『マリー・アントワネット』から “ロココ”ファッションを学ぶ。

【映画】『マリー・アントワネット』は、実在の人物で、当時のファッションリーダーでもあったフランス王妃マリー・アントワネットを描いた作品で、時代設定は、1770年から1789年 ( 18世紀 ) となっています。

この時期、”ロココ”と呼ばれるフランスから生まれた美術様式に大きく影響を受けたファッションが流行します。
では、本作品に登場する”ロココ”ファッションについて5つのキーワードで見ていきましょう!

予告編

目次

作品情報

引用元:Ⓒ 2005 I Want Candy LLC.

基本情報

邦題マリー・アントワネット
原題Marie Antoinette
上映時間122分
公開年2006年
製作国アメリカ
監督ソフィア・コッポラ
脚本ソフィア・コッポラ
衣装デザインミレーナ・カノネロ
出演キルステン・ダンスト
ジェイソン・シュワルツマン
リップ・トーン
ジュディ・デイヴィス
アーシア・アルジェント
マリアンヌ・フェイスフル
ローズ・バーン
モリー・シャノン
シャーリー・ヘンダーソン
ダニー・ヒューストン
スティーヴ・クーガン
ジェイミー・ドーナン
クレマンティーヌ・ポワダッツ
オーロール・クレマン
トム・ハーディ

あらすじ

「ヴァージン・スーサイズ」「ロスト・イン・トランスレーション」など、ハリウッドを代表する女性監督としての地位を確立したソフィア・コッポラ監督が、世界一有名な悲劇の王妃マリー・アントワネットの孤独と心の軌跡を80年代のニューウェーブ・ロックに乗せ、スタイリッシュに描く。

1769年、当時14歳のオーストリア皇女マリー・アントワネットは、長く険悪な間柄であった故国オーストリアとフランスの政治的同盟のため、未来のフランス国王ルイ16世(当時15歳)のもとへ嫁ぐこととなります。

たった一人で故郷を遠く離れたマリー・アントワネットに待ち受けていたのは、非常に厳格で窮屈なヴェルサイユ宮殿での宮廷生活でした。

期待される世継ぎもなかなか出来ず、王妃としての大きなプレッシャー、味方も少ない孤独な生活の中で、心の隙間を埋めるかのように贅沢三昧を繰り返すマリーだったが…

ファッション解説

女性用宮廷服ローブ・ア・ラ・フランセーズ

作中、様々な場面でマリー・アントワネットが身に着けているドレスは、
“ローブ・ア・ラ・フランセーズ”(Robe à la française)、日本語でフランス風ドレスと呼ばれるもの。

こちらの画像は婚礼の儀のシーンで、マリー・アントワネットが白いローブ・ア・ラ・フランセーズを着ています。
ただし、ドレスの色は実際には、白ではなく青だったそう。

なお、彼女だけではなく、参列者の多くがローブ・ア・ラ・フランセーズを着用している様子が確認できます。


こちらのドレスは、1775年にフランスで作られたもので、ローブ・ア・ラ・フランセーズの特徴である背中にまっすぐ施された大きな襞 “ヴァトープリーツ” と大きく左右に張り出したスカートがみられます。

高価な布地がたっぷりと使われていて、それだけでこのドレスを着る者が特権階級であることを示しています。

引用元:The Metropolitan Museum of Art
ローブ・ア・ラ・フランセーズ ┃ 1775年┃フランス製

ローブ・ア・ラ・フランセーズは、ガウン、スカート(ペティコート)、胸の部分に取り付ける逆三角形の胸当て”ストマッカ―”(Stomacher)、の3つのパーツで構成されており、

コルセットやパニエなどの下着でシルエットを整えた後に、アイテム同士をピンで留めたり、紐で結び付けたりなどして着装します。

引用元:The Metropolitan Museum of Art
ストマッカー┃1720年┃イギリス製

淡いパステルカラーが基本で、布地としてはフランスのリヨン製の贅沢な絹織物がよく使われ、装飾的な柄が入った織物も多かったようです。また、溢れるほどのレースやリボン、造花、刺繍で装飾が施されました。

18世紀初頭のフランスで普段着のスタイルとして登場し、世紀半ばには最も優雅な女性用宮廷服として定着しました。

引用元:Wikimedia Commons
マリー
アントワネットの肖像画┃18世紀┃フランス

男性用宮廷服アビ・ア・ラ・フランセーズ

マリー・アントワネットの夫であるフランス国王ルイ16世および、王侯貴族の男性達が多くの場面で着用しているのは、男性用宮廷服 “アビ・ア・ラ・フランセーズ” (Habit à la française) と呼ばれるものです。

アビ(コートジャケット)、ウエストコート(ベスト)、キュロット(膝までのタイトな半ズボン)の3つのアイテムで構成されており、これらをジャボ(胸元のひだ飾り)やレースカフス付きの麻か綿の白いシャツ、絹の白いストッキング、黒革の短靴とともに着用しました。

引用元:Wikimedia Commons
アビ・ア・ラ・フランセーズ┃1760年頃┃フランス製

女性服と同様にロココを象徴する淡いパステルカラーがメインとなっており、
アビ(コートジャケット)にたっぷりと施されたプリーツ、高価なレース、手の込んだ刺繍や装飾ボタンが”ロココ”の粋な男たちを演出しました。

引用元:Wikimedia Commons
精巧な刺繍のコートを着た男性の肖像┃1674年から1734年の間┃不明

服装史上で最も男性服が奇抜で豪華絢爛だった17世紀バロックスタイルのエッセンスを継承しつつ、より洗練され落ち着いた装いです。

引用元:Wikimedia Commons
ルイ16世の肖像画┃18世紀┃
フランス

巨大な盛り髪 プーフ

1780年代にヨーロッパ中の宮廷で、”プーフ” (pouf)と呼ばれる巨大な盛り髪ヘアが流行します。

フランス語でクッションを意味するプーフは、文字通り頭に乗せたクッションを包み込みように地毛や人毛のヘアピースで結い上げたヘアスタイルです。

1774年にシャルトル公爵夫人によって初めて公の場で披露され、その後マリー・アントワネットが1775年に夫ルイ 16 世の戴冠式で披露したことによって人気に火が付きヨーロッパの宮廷女性達の間で大流行しました。

まるで建築物のように高くそびえ立つ巨大な盛り髪には、着用者自身の髪の毛、人毛のヘアピース、動物の毛、詰め物、ワイヤーなど、あらゆるものが利用され、動物性脂肪に香料で香りづけしたポマードで整えられています。

引用元:Wikimedia Commons
マリーアントワネットの肖像画

また、地毛と付け毛の境目や、フケや匂い、年齢をごまかすため、主に小麦粉で作った香り付きの”髪粉”と呼ばれる粉が全体に吹き付けられていたので当時の宮廷女性達は一様に、白髪のような髪色をしています。

プーフの仕上げには、宝石、リボン、羽毛などで装飾を施すことが一般的で、

引用元:Wikimedia Commons
軍艦の模型で飾られたプーフ

さらには、この髪型は、着用者自身の感情を表現するキャンバスとしても利用されます。

果物や野菜、人形、鳥かご、軍艦の模型などを乗せた奇想天外なスタイルも登場し、
作中でもダチョウの羽や花、鳥や軍艦の模型で飾ったプーフのマリーアントワネットが登場します。

王妃はコンバースがお好き?!

作中、マリー・アントワネットの贅の限りを尽くしたクローゼットを映すシーンで、彼女の足元に転がったサックスブルーの”コンバースオールスター” が一瞬登場します。

18世紀にスニーカーが存在していたの?!と混乱しますが、これは監督のソフィア・コッポラによる映画的演出で、もちろん、この時代にコンバースオールスターは存在していません。マリー・アントワネットがあくまでも、異常な状況に置かれた普通のティーンエイジャーであったことを象徴しています。

実際にコンバースオールスターが誕生したのは1917年のアメリカ。バスケットボール専用シューズとして誕生し、その後カジュアルファッションのアイコンとして確固たる地位を築いたスニーカーです。

この時期の盛装用女性靴は、ドレスと同じく精巧に織られた絹織物や刺繍によって装飾されました。

反り返り、尖ったつま先とヒール中央がくびれた形状のルイ14世に由来するルイヒールが特徴の
ベルトシューズが主流で、当時、靴には左右の区別はありませんでした。

引用元:The Metropolitan Museum of Art
盛装用女性用靴┃1720–49┃おそらくイギリス製

作中、登場するシューズは、1973年ロンドンに誕生以来、多くの女優やセレブに愛されてきた高級靴ブランド、
マノロ・ブラニクが全て担当し、話題を集めました。

シュミーズ・アラレーヌ…革命へ向かって

1774年頃から、マリー・アントワネットはストレスやプレッシャーの多い宮廷生活を抜け出すように、ヴェルサイユ宮殿の広大な敷地の外れに造らせた”アモー”(hameau)、日本語で”王妃の村里”と呼ばれる田舎風の別荘で多くの時間を過ごすようになります。

“アモー”には、人工池、農場、牧場、風車小屋、塔や納屋などが造られ、さらには住み込みで働く農夫婦、庭師、牛飼いもいて、牛や豚、羊にヤギ、ニワトリやウサギなどが飼育されていました。このような田園生活への憧れは、当時の王侯貴族の間での流行だったようです。

王妃はこの場所に、ごく親しい友人のみを招き入れ安らぎの場所とし、読書やガーデニング、乳搾り、羊飼い遊びなどを楽しみました。また、同時に自身の子ども達の教育の場としても活用していたようです。

そんな”アモー”で過ごす際に王妃が着たのが、”シュミーズ・ア・ラ・レーヌ”(chemise à la Reine)、日本語で王妃風シュミーズ・ドレス呼ばれる、まるで下着のような簡素なワンピース・ドレスです。

引用元:Wikimedia Commons
シュミーズ・ア・ラ・レーヌを着たマリー・アントワネット┃1783年以降

飾り立てた高価なシルク製の宮廷服とは正反対の、コルセットもパニエも不要の簡素な綿モスリンでできた、非常にリラックスしたスタイルで、ウエストにはゆったりとしたリボンベルトが締められました。

ネックライン・袖口に施されたラッフル、ウエストにたっぷりと細かく入ったギャザー、マムルーク・スリーブ(ギャザーで連続的に膨らませた袖)が特徴です。

引用元:The Metropolitan Museum of Art
アントワーヌ・ローラン・ラヴォアジエとその妻の肖像画┃1788年┃フランス

当時、ファッションにおいて、フランスはフォーマルなスタイル、イギリスはカジュアルなスタイルを得意とし、その他のヨーロッパ諸国へ流行を発信する役目を果たしていましたが、

フランス国内において、簡素なイギリス風ファッションが流行。王妃はトレンドをキャッチし、イギリス国内で流行り始めていた簡素なシュミーズ・ドレスをいち早く取り入れ、着用しました。

洗練の美から、簡素な美へ、1789年のフランス革命に向かって着実に美意識の大きな転換があったことを表しています。

まとめ

以上、【映画】『マリー・アントワネット』のあらすじと登場するファッションについてご紹介しました。

この作品は伝記映画というより、どちらかというとマリー・アントワネットを一人の少女として描いた青春映画の側面が強いです。

先述のコンバースのように、この時代には存在しないはずのお菓子のマカロンやオウムが登場するなど、史実と違う演出も見られますが、衣装はとにかく素晴らしく、アカデミー賞で衣装デザイン賞も受賞しています。

まだ見たことが無い方はぜひ! また、すでに見たことがある方も、あらためて見返してみてはいかがでしょうか?

最後まで読んでくれてありがとうございました!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次