【映画】『 シド・アンド・ナンシー 』から UKパンク・ファッション を学ぶ。

【映画】『 シド・アンド・ナンシー 』は、パンクロックを代表するバンド、セックス・ピストルズのベーシスト「シド・ヴィシャス」とその恋人「ナンシー・スパンゲン」との儚くも破滅的な恋愛を、実話をもとに描いた作品です。

シドを演じたのは名優ゲイリー・オールドマン。鬼気迫る演技でこの作品は彼の出世作となり、ナンシー役のクロエ・ウェッブは、1986年度の全米映画批評家協会賞 主演女優賞を受賞しています。

また、イギー・ポップやホール結成前のコートニー・ラブなどが脇役として顔をそろえ、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーが音楽を担当するなど非常に豪華な作品です。

1970年代後半のイギリスは経済不況のどん底にあり、街には失業者が溢れていました。未来が見えない閉塞感の中で、若者たちの怒りや不満が爆発し「パンク・ムーブメント」が誕生。それを体現した煽動的で過激な「UKパンク・ファッション」も生まれます。

では、この作品に登場する「UKパンク・ファッション」について5つのキーワードで見ていきましょう!

予告編

目次

作品情報

引用元:Ⓒ 1986 Zenith Productions Ltd

基本情報

邦題シド・アンド・ナンシー
原題Sid And Nancy
上映時間114分
公開年1986年
製作国イギリス
監督アレックス・コックス
脚本アレックス・コックス
アベイ・ウール
衣装デザインキャサリン・クック
出演ゲイリー・オールドマン
クロエ・ウェッブ
アンドリュー・スコフィールド
デビッド・ヘイマン
コートニー・ラブ
デビー・ビショップ
ザンダー・バークレイ
ペリー・ベンソン
トニー・ロンドン
サンディ・バロン
サイ・リチャードソン
エドワード・チューダー=ポール
ビフ・イェーガー
キャシー・バーク
イギー・ポップ

あらすじ

1978年、ニューヨークのチェルシーホテル。シド・ヴィシャスの回想から物語が始まります。

時はさかのぼり1年前のロンドン。シド・ヴィシャスの所属するパンク・バンド「セックス・ピストルズ」は、地元イギリスでの大成功を受けて人気バンドとしての地位を確立、ファースト・アルバムの制作や海外ツアーの準備を始めていました。

そんな折、シド・ヴィシャス(ゲイリー・オールドマン)は、アメリカから遊びに来ていた麻薬中毒のグルーピー、ナンシー・スパゲン(クロエ・ウェッブ)と出会い、2人はたちまち恋に落ちます。

ドラッグとセックスに溺れた2人は孤立していき、バンドメンバーやスタッフとの関係も悪化。バンドも解散してしまいます。
シドはナンシーをマネージャーにして新たにソロ活動を始めようとしますが、その頃には2人とも危険なほどヘロイン中毒になっており…

坂を転がるように破滅への道を突き進んだ2人を実話をもとにリアルに描きます。

ファッション解説

パンク・ファッションとは

この映画の舞台である1970年代後半のイギリスは、第4次中東戦争によるオイルショックをきっかけに深刻な不況の真っ只中にあり、失業率や物価も上昇、ストライキも多発していました。

先行きの見えない不安定な社会情勢の中、若者たちの怒りや不満が「パンク・ムーブメント」という形で爆発。それに起因した反体制的な「パンク・ロック」や、煽動的で過激な「パンク・ファッション」が生まれ、ロンドンのキングスロード430番地には「UKパンク・ファッション」の聖地となるブティックがオープンします。

それは、起業家「マルコム・マクラーレン」とデザイナー「ヴィヴィアン・ウエストウッド」によるブティックで、デザインコンセプトごとに店名から内装までをも変える手法で、1971年に「LET IT ROCK」をオープンして以降、1972年「Too Fast to Live, Too Young to Die」、1974年「SEX」、1976年「Seditionaries」、そして1979 年には「World’s End」と変更し、現在でも同じ場所で、当時の雰囲気そのままに営業を続けています。

中でもUKパンク・ファッションを定義したと言われているのが、「SEX」と「Seditionaries」ですが、実はパンク・ファッションの源流は、1970年代半ば、ニューヨークの伝説のライブハウスCBGBを中心に活躍していた「ラモーンズ」に代表されるパンク・ロッカーたちが好んだ服装にあります。黒のライダースジャケットに、破れたTシャツやジーンズ、足元はコンバースやドクターマーチンといったスタイルです。

マルコム・マクラーレンは同時期、ニューヨークのパンク/グラムロック・バンド「ニューヨーク・ドールズ」のマネージャーおよび衣装を担当しており、当時、ニューヨークで発生したパンク・ファッションに影響を受けます。特に、パンク・ミュージシャンのリチャード・ヘルの社会反抗的なメッセージが書かれたボロボロに破れたシャツや、それらを安全ピンで留めるスタイル、髪をトゲトゲに逆立てたスパイクヘア、ニューヨーク・ドールズの両性具有的かつ、ド派手で過激なファッションは「マルコム・マクラーレン」と「ヴィヴィアン・ウエストウッド」に新たなインスピレーションを与え、彼らはニューヨークで生まれたパンクファッションを継承しつつ独自に昇華させたUKパンク・ファッションをロンドンから発信していきます。

UKパンク・ファッションに代表されるものとしては、擦り切れたようなTシャツやガーゼ製のトップスにスクリーンプリントされたナチスの鉤十字、安全ピンを口に刺したエリザベス女王、裸の胸など、挑発的なグラフィック。

股を貫くロングジッパーやパンツの太さ調整用のジッパー、足の動きを制限する「ホブルストラップ」、取り外し可能な尻あて「バムフラップ」などが特徴の、拘束服のディティールを取り入れたボンデージパンツ。

あえて破いたり引き裂いて、安全ピンやスタッズ、金属チェーンなどで装飾したジーンズやレザージャケット、ゆるめに編まれたモヘアのジャンパー、SM用ボンデージウェアからの文脈のレザーウェア・ラバーウェアなどが挙げられます。

履物としては、軍用ブーツやバイク用ブーツ、ジョージコックスのブローセル・クリーパーズ(ラバーソール)、コンバースのオールスターなどが代表的で、

また、男女ともにアイライナーで目の周りを黒々と縁取り、髪型は乱雑で、場合によっては、髪をトゲトゲに逆立てた短めのスタイルで、不自然な派手な色に染められることも多くありました。

こういった数々のファッションは、いずれも過激でDIY要素の強いものでした。

SEXとセックス・ピストルズ

1974年にオープンした「SEX」は、まさにその新たなパンク・ファッションを発信する場所となり、フェティッシュをテーマにした店内はまるでポルノショップのような雰囲気で、ラバースーツなどボンデージ関連のウェアや道具と共に、オリジナルデザインの商品が並べられていました。

「SEX」の代表的なアイテムは、政治的メッセージが強く、社会や性的タブーに反抗した過激なデザインのTシャツで、有名な連続レイプ犯をテーマにしたものや、女性の胸の写真をプリントしたもの、下半身裸の二人のカウボーイが向き合うデザインなど、その他にも数々の挑発的なアイテムが販売されました。

中でも下半身裸の二人のカウボーイが向き合うデザインのTシャツは、シド・ヴィシャスもよく着ており、作中、ゲイリー・オールドマン演じるシドもたびたび着用しています。

そんな「SEX」には、ブティックの発信するメッセージに共感する多くの若者達が押し寄せ、またたく間に彼らのたまり場となります。マルコム・マクラーレンは、常連客だった不良少年のスティーヴ・ジョーンズ(ギター)とポール・クック(ドラムス)が1972年に結成したバンドに目を付け、当時「SEX」の店員だったグレン・マトロック(ベース)とオーディションで選んだジョニー・ロットン(ボーカル)を加入させ、1975年にパンク・バンド「セックス・ピストルズ」としてデビューさせました。

その後、1977年初めにグレン・マトロックがジョニー・ロットンとの不仲により脱退してしまうのですが、その代わりにもともとセックス・ピストルズの熱狂的なファンだったシド・ヴィシャスがベースとして加わりました。

彼らは「SEX」や「Seditionaries」のアイテムをライブやTVインタビューなどのメディアへの出演時はもちろん、日常的に着用し、ブティックの広告塔としての役割を果たします。彼らが着ていた代表的なアイテムというと、前述の過激なメッセージTシャツやボンデージパンツ、ガーゼシャツやモヘアジャンパーなどです。

これらのアイテムは、彼らの人気と共に世界に広まり、映画の中では、ちょうどその時期の様子を見ることができます。

リンダとボンデージ・ファッション

映画の冒頭、シド・ヴィシャスとジョニー・ロットンは友人「リンダ」のアパートを訪れます。そこでシド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲンは初めて出会うのですが、この重要なシーンで登場する全身黒のボンデージ・ファッションに身を包んだ「リンダ」と呼ばれる女性は実在の人物「リンダ・アシュビー」で、初期UKパンクシーンの中心的存在の一人です。

彼女のアパートはこの作品でもたびたび描かれている通り、彼女自身が所属しているセックス・ピストルズの親衛隊「ブロムリー・コンティンジェント」のメンバーやその友人たち、セックス・ピストルズやその他のパンクバンドのメンバー、マルコム・マクラーレンやヴィヴィアン・ウエストウッドなど、ブティック「SEX」同様にそういった関係者のたまり場となっていました。

リンダ」は、彼らに食事や寝場所、さらにはドラッグまでをも大盤振る舞いで提供し、そのまま住み着く者も多かったようで、シド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲンも、そのうちの一人でした。

こういった「もてなし」が可能だったのも彼女はセックスワーカーで、高級SMの女王様としてロンドン中の裕福な紳士を相手に仕事をしており顧客には大物政治家や著名人も名を連ね、かなり儲かっていたからです。バッキンガム宮殿の裏にあった、「リンダ」の自宅兼仕事場の広くて豪華な高級アパートでは、上流階級の紳士たちがSMプレイを楽しみ、また別の部屋では労働者階級のパンクスがたむろしているという、非常に奇妙な空間でした。映画の中でも、ナンシー・スパンゲンが彼女の仕事を手伝うシーンが登場します。

彼女は、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのブティック「SEX」の常連客でもあって、
「リンダ」のフェティッシュなボンデージ・ファッションは、彼らのクリエーションに少なからず影響を与えたのは確かです。

実際、1976年頃からブティック「SEX」では、「ボンデージ・ジャケット」と「ボンデージ・トラウザーズ」が販売され始めます。ボンデージという名の通り、SMプレイ時や、刑務所や精神科病院などで他人や自分自身に危害を加える可能性のある者に着用させ、身体の自由を奪うための「拘束服」のように、何本も取り付けられた拘束ベルトがデザインの特徴となっており、これらのアイテムは、同じく拘束服をモチーフにしたガーゼ・シャツ「ムスリン・トップ」とともに、UKパンクファッションの代名詞的なアイテムとなり、作中でもたびたび登場します。

また、パンクスたちによる落書きで埋め尽くされた彼女のアパート自体も伝説の場所となり、雑誌の撮影場所としてさまざまなパンクの物語、ドキュメンタリー、本などで数え切れないほど取り上げられました。もちろんこの映画の中でも何度も登場しており、シド・ヴィシャスがスプレーで壁に落書きする様子も描かれています。

このように、パンクスが集まる彼女のアパートでは、ファッション以外にも音楽、アート、文学など、UKパンク独自の文化が生み出され、「リンダ・アシュビー」は、UKパンクシーンの隆盛に多大な貢献をした人物とも言えます。

シド・ヴィシャスのスタイル

物語の主人公あるシド・ヴィシャスは、1979年にわずか21歳で亡くなってからもパンクカルチャーのアイコンであり続けています。他のメンバー同様、「SEX」および「セディショナリーズ」の広告塔として日常的にそれらのアイテムを着用しつつ、彼独自のスタイルも築き上げました。

そんな、シドのトレードマークとして有名なのは、彼がつねに身に着けていた「R」の文字が刻印された南京錠のネックレスです。日本では、通称「シド・ネック・チェーン」と呼ばれるこのアイテムは、当時、セックス・ピストルズのメンバーやマルコム・マクラーレン、ヴィヴィアン・ウェストウッドとも親交があり「SEX」で働いていたクリッシー・ハインド(のちにロックバンド「プリテンダーズ」を結成)が、金物屋で買ったチェーンと南京錠をシドにプレゼントしたものですが、映画の中では、ナンシーがシドに贈ったという設定で描かれており、2人の関係性を象徴するシーンになっています。ちなみに映画でシド役のゲイリー・オールドマンが着用しているのは、実際にシドが着用していたもので、母親が提供しています。

この南京錠は、イギリス統治下にあった香港の金物メーカー「ラビット社」製のただの日用品の南京錠で、本来は安価なものだったわけですが、ラビット社はその後、倒産したため当時のオリジナルは現在では高額で取引されています。

また、大きなリングが付いたベルトも、「シド・ネック・チェーン」と並んで、シドのトレードマークとして知られています。これは、映画の時代設定とほぼ同じ、1978年のアメリカツアー中からセックス・ピストルズ解散後、ソロ活動を始めたニューヨーク時代にかけて、彼がよく着用していたもので、日本では、通称「シドリングベルト」と呼ばれるこのアイテムは、ザ・ランナウェイズのジョーン・ジェットがハリウッドのSMショップで購入したものをシドにプレゼントしたものだそうです。

重厚な作りの本革の黒いベルトに、本来はSMプレイ時に身体の自由を奪うための取り付けられた5 つの重いリングが目を引きます。

そして、パンク・ファッションを代表するアイテムであるレザーのライダースジャケットも、もちろんシドの愛用アイテムでした。

いくつかの種類のライダースジャケットを愛用していたことが確認できますが、もっとも愛用していたとされるのが、1950年代後半から1960年代初期に販売された、アメリカの大手百貨店チェーンのプライベートブランドPENNEY’Sのツースターモデルのヴィンテージで、セックス・ピストルズのメンバーであるスティーブ・ジョーンズから譲り受けたといわれており、左胸にスタッズでSteveと書かれており、右胸にはアメリカ陸軍の帽章が付けられています。

映画の中では、このタイプは登場しないものの、スタッズや安全ピン、缶バッジなどでカスタマイズしたライダースジャケットを着るシドがたびたび登場します。

また作中、シドは、ヒョウ柄のダブル仕立てのウエストコート(ベスト)をよく着用しています。これも実際にシドが愛用していたアイテムで、「SEX」「Seditionaries」の前身となるマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドによるブティック「 Let It Rock 」のものと言われており、ライダースジャケットの下に着たり、そのまま素肌に身に着けたりなど、様々な着こなしを見ることができます。

その他にも、シド・ヴィシャスのトレードマークと言えば、短い黒髪をトゲトゲに逆立てた攻撃的な髪型や、ナチスの鉤十字Tシャツ、LEVI’Sのスリムジーンズ606、CHIPPEWAのエンジニアブーツ、ビリビリに破いたTシャツやジーンズなど数多くありますが、こいった彼独自のスタイルは、現代のファッションに大きな影響を与え続けています。

「俺たちは一緒に死ぬ約束をした。こっちも約束を守らなければならない。俺が死んだらどうかあいつ(ナンシー)の隣に埋めてくれ。レザージャケットとジーンズとモーターサイクルブーツを死装束に。さようなら」

彼のレザージャケットのポケットにあった遺書と思われるメモより。

ナンシーのワイルド&セクシーなスタイル

シド・ヴィシャスの「運命の恋人」ナンシー・スパンゲンは、1958年にアメリカ、フィラデルフィアのユダヤ系中流家庭に生まれます。幼い頃から、弟妹やベビーシッターに暴力をふるったり、ハサミで手首を切って自殺未遂を図るなど情緒不安定で問題行動が多く、わずか13歳で薬物に手を出し始め、15歳になる頃にはすでにヘロイン中毒になっており、統合失調症と診断されます。一方でIQが160以上あり、飛び級で16歳の時にコロラド大学に入学しますが、わずか5カ月後に、マリファナ購入の罪で逮捕され退学、さらにはコロラド州から永久追放されます。

その後、17歳で家を出た彼女は、ニューヨークに移り住みます。ストリッパーや売春婦、麻薬の売買などをしながら、ライブハウスに出入りし、エアロスミスやニューヨーク・ドールズ、ラモーンズ、イギー・ポップ、ブロンディのデボラ・ハリーなどと親交を深め、また、気に入ったバンドマンとならすぐに寝るいわゆるグルーピーとして有名になりました。

1977年には、当時彼女が追っかけをしていたハートブレイカーズのジェリー・ノーランがゲストとしてセックス・ピストルズのアナーキー・イン・ザ・UKツアーに参加するためイギリスへ渡る際、一緒に同行する形で、UKパンク・シーンに足を踏み入れました。

飛行機でロンドンに到着した最初の夜にシドと出会い、その翌年3月に2人は同棲を開始するのですが、実は当初、ジョニー・ロットンに目を付け口説こうとしたようですが、まったく相手にされなかったため、シドに乗り換えたと言われています。その後、たちまち2人は恋に落ち、破滅への道を歩み始めたわけです。

そんな、本能のままに生きた彼女のファッションは、まさにパンクを体現したようなワイルドでセクシーなスタイルです。
黒い網タイツやフィッシュネットのトップス、黒いビスチェなどのランジェリー、黒いスタッズ付き革ベルト、黒いラバー製のボンデージウェア、黒いピンヒールのレザーブーツなどフェティッシュかつ、全身黒で統一されたスタイリングには、ヒョウ柄のアイテムや南京錠のネックレスなど、シドとお揃いの要素も見られます。

ナンシーといえば、ブロンドのカーリーなロングヘアと、キャンディーレッドのチークと口紅、黒く塗りつぶしたようなアイメイクと真っ白い肌という、まるでドラァグクイーンのように派手なメイクが特徴で、おもちゃの拳銃が付いたネックレスも、彼女のトレードマークでした。このような彼女独自の様々なパンク・ファッションを作中見ることができます。

まとめ

以上、【映画】『 シド・アンド・ナンシー 』のあらすじと登場するファッションについてご紹介しました。

世界中でセックス・ピストルズおよび、UKパンク・ファッションの人気が再燃し、広く認知されるきっかけともなったこの作品。

まだ見たことが無い方はぜひ! また、すでに見たことがある方も、あらためて見返してみてはいかがでしょうか?

最後まで読んでくれてありがとうございました!

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